● 治療のために飲んでいる薬や 運動が「逆効果」
「病院に通っているのに全然よくならない。むしろ悪化してしまった」――痛み治療の第一人者、北原雅樹教授のもとには、そんな腰痛患者も多数訪れる。原因は当然さまざまだが、意外と多いのが、治療のために飲んでいる薬や運動が逆効果になっている例だという。前回の記事に引き続き、今回も、2つの症例をご紹介する。
【症例1】
60代後半の女性。「原因不明」の腰下肢痛で受診。
最初に行った整形外科で原因不明と言われ、心療内科を紹介されたが、やはり原因は分からず。次に訪れた整形外科では「頚椎症、腰痛症」に効果があるとされているデパスという抗不安薬・睡眠導入剤を処方された。
デパスを飲むと痛みが楽になったことから、増量。1年以上にわたり、1日6錠ずつ服用した。
しかし結局、痛みは治らなかった。北原教授は言う。
「本人に、『デパスを服用してみてどうでした』と尋ねると、『物覚えが少し悪くなった気がする』と言いました。でもご主人に確かめると、少しどころではありませんでした。
物忘れがひどくなり、日中もボーっとしている感じで表情も硬くなってしまったそうです。認知症の症状ですよね。
デパス、エチゾラムなどのベンゾジアゼピン系の薬は、筋弛緩作用があるので高齢者が服用するとふらついて転倒するリスクがあります。また、せん妄や認知症の発症率が高まることも分かっており、日本老年医学会が作った『高齢者の安全な薬物療法ガイドライン』では、特に慎重な投与を要する薬物だから『高齢者には可能な限り使用を控えるべし』とされています」
デパスも含むベンゾジアゼピン系は服用を急に止めると「離脱症状」といって、薬で抑えていた症状が一気に悪化したり、違う症状が出てきたりするので徐々に減らす必要がある。
「困ったことに、急な中断による退薬症状の怖さをわかっていない医師も一部にいます。以前結構な量のベンゾジアゼピンを主治医が一気に中断してしまい、それまで起こしたことがなかったパニック発作を起こした患者さんがいました。『医師の指示に従って』いれば安心というわけではないのがもどかしいところです」(北原談)
6週間後、女性の腰痛はやや改善した程度だったが、それ以上に本人は「頭がすっきりして集中力が出てきた」と語り、夫は「物忘れが明らかに減り、ボーっとしていることもなくなり、表情が明るくなった」と語った。
その後は運動療法と簡単な心理療法で、症状はすっかり改善。デパスも1日0.5錠程度(2日に1回、1錠服用)に抑えられるようになった。
【症例2】
50代女性。腰痛と膝痛で来院。身長153センチ、体重70キロでBMI(体重と身長の関係から肥満度を示す体格指数。22の時に最も病気になりにくいとされている)が29を超えていたことから、腰痛と膝痛の原因は明らかに肥満と考えられた。
治療には何よりも体重を減らすことが必要と考えた北原教授は、IMSによるトリガーポイントの治療(*)と並行して、運動を勧めることにした。
ただし大きな問題があった。女性は運動習慣ゼロ。日頃全く運動をしないという。そんな患者に、いきなり運動を勧めても、途方に暮れるのは目に見えていた。かといって、張り切ってランニングでも始めれば、たちまち膝を故障してしまうだろう。世の中には、健康のために始めたランニングで足腰を痛め、逆に不健康になる人が大勢いる。
では、ウォーキングならいいのかというと、そうでもないらしい。
「歩くことが体にいいのは確かです。でも、ただ歩けばいいってものではない。東京のサラリーマンは平均で1日に40分も歩いているそうですよ。歩きさえすれば健康が維持できるのなら、高血圧や糖尿病のサラリーマンはいなくなるはずです。
体にいい歩き方は案外難しいものですから、治療のために歩くなら、理学療法士に指導してもらうべきです。
ウォーキング以外でも、運動療法はその人に合った運動を指導しなくてはなりません」
*筋肉内刺激法(IMS):東洋医学で使う針で、押すと強い痛みが生じるしこりトリガーポイントを刺激する治療法。一般のトリガーポイント注射に比べて針が細く、薬を使わないために副作用が少なく、広範囲を治療するのに適している。
「痛みを訴える患者さんの多くが、身体に負荷をかける歩き方をしています。特に女性は、ハイヒールを履くせいでしょう。ひざが曲がっていたり、反り腰という状態になっていたりして、腰の筋肉に負担がかかり、腰痛の原因になっています」
運動によって筋肉をつけ、いい歩き方ができるようになった女性は見事減量に成功し、腰痛からも膝痛からも解放された。その後は旅行にも、必ず折り畳みのポールを持参するようになったという。
● 慢性痛の治療に 薬を慢性的に出すのはアウト
服薬と運動は、腰痛治療の重大な柱だが、使い方を誤れば害になる。それにもかかわらず、安易に用いる医師が多いことを北原教授は問題視している。
症例1では「デパス」を取り上げたが、痛みを訴える患者に対してよく処方される「リリカ」「サインバルタ」などの鎮痛剤は、軽度の認知障害につながる可能性があるのだ。
「このほか、睡眠剤、抗ヒスタミン剤、筋弛緩剤、胃腸薬などの薬は、脳の働きをわずかずつ低下させていきます。そうして軽度の認知障害が起こると、痛みに強くこだわったり、意識が低下したり、生活が昼夜逆転してしまったりして、従来通りの社会生活を送ることが困難になり、外出が減り、最悪の場合、寝たきりになってしまう。
筋肉を維持するためには、週1回、40分以上の運動が必要とされています。健常者でも、寝たきりの状態に置かれれば、1日で0.5%程度、筋力が衰えます」
よかれと思って飲んだ薬で認知障害になり、運動ができなくなって痛みが増し、さらに薬が増えて悪化する。こんな負のスパイラルはごめん被りたい。
慢性痛に効く薬は、基本ありません。治療薬ではないんです。そこを間違えてはいけない。
辛い痛みを和らげるために使うのはいいと思います。でも、使い始めたら漫然と使うのではなく、治療目標を作ってここまで効果が見られなければやめるとか、薬の量を増やすにしても無制限に増やすのではなく、どのような状況まで増やすのかを決めるべきなんです。そして効かなければ止める。
また、薬を服用してもらう場合にも、単純に痛みがあるから使うのではなく、神経障害性の痛みがあるからリリカを使おうとか、痛みの性質を見極めたうえで使わなくてはなりません。
獨協医科大学の山口重樹先生は、『慢性痛だからといって、薬を慢性的に出す必要はない』と言っています。本当にそうです」
さらにもう1点、北原教授は声を大にして言いたいことがある。
それは、検査をしても原因が分からず、薬を投与しても治らない慢性痛の患者に対して「あなたの痛みは、原因が分からないから心理的なものでしょう」と突き放すのはいけないということだ。
「原因が分からない痛みは、原因が分からない痛みです。患者さんは本当に、身体が痛いのです。その痛みは、患者さんが頭の中で作り上げているものではありません。それを、さも心理的な錯覚でもあるように言うのは間違いです。
人間には心があり、心と体はつながっています。心と身体が分離したものであるような考え方では、慢性痛は診られません。
痛み医療が進んでいるアメリカでは、医師になるには全員が、行動心理学を学ぶことになっています。精神科と身体科が二分化されている日本とは大きな違いです」
悲しいかな、日本の慢性痛医療は、薬や運動という基本的なところからして、遅れているようだ。これでは、腰痛に悩む人も減らない。
「医師も、痛みに関するリテラシーを高めなければなりませんが、同時に患者さんたちにもリテラシーを高めていただきたい。それには、医師や病院、痛みに関する質のいい情報を求めること。
患者さんが、いい医師を選べるようになれば、医師も変わるはずです。それが日本の痛み医療を変える、一番の近道です」